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2017年8月

2017年8月28日 (月)

動画配信

Maindoga

弊塾、3月より満席状態が続いておりましてご迷惑をお掛けしております。
お問い合わせに対しては空席が出るまでお待ちいただくようお願いしております。
メールではほぼ返信をいたしておりません(授業準備に集中させていただきたく思います。体験授業の申し込みフォームに「必ず満席かどうかご確認ください」との記載をしてあるにもかかわらず満席状態の中でのお申し込みですので対応できないことをお許しいただければと思います。) 。

門前払いの形の方(本当に申し訳ございません)が現在までに40名以上に登っております。
今年度受験の方に間に合うよう、急ぎ上記の講座を鋭意制作中です。
9月中には発信できることを目指しております。

月額¥980などというわけにはいきませんが、そんな安かろう、悪かろう(弊塾の目からはそう見えます。…そう見えない講座はここ以外でも一つもないのですが)の内容ではありません。(弊塾の月謝とのバランスを考えた料金になります。弊塾に通っていただいた場合と90分間で同一の内容に対して同一の料金、となると思います。)

¥980などの講座は、弊塾が間違いだと指摘している内容を正しいものとしています。
受験だけ切り抜けられるかもしれないが、結局は将来やり直さなくてはならないものより、初めからしっかりとしたものを学習されることを強くお勧めします。(塾生さんたちは無料で視聴可能です。授業と同一内容なのですから料金を取るわけには参りません。復習のための教材としてお使いください。)

(クジラ構文で「クジラは魚ではない」と否定で訳したら間違いだと弊塾は指摘していますが、彼らは「クジラは全然魚じゃない、馬と同じくらいに」だそうです。クジラ構文は「ない」という言葉を使わずに「ない」のニュアンスを表すこと。「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」を「君には全然お金を貸さない、ドブと同じようにね」…。言いたいことはそうなんですが、どこか違うと思いませんか?「ない」を使ったら、本来の趣旨から離れてしまうのです。本来の趣旨から離れているのに、それを「本質」(=全てに通用する)だとか言うので腹が立っていました。

……最近では彼らは「核」という言葉にすり替えています。to不定詞の本質が「未来志向」だというのはI am happy to see you.「あなたに会えて嬉しい」のto see youは未来ではなく過去ですので、「本質」(=どんな場合でも通じる)ではありません。しかし、「未来志向」がto不定詞の「核」だと言われたら…。「核」は少々の例外は許容する言葉ですので、「to不定詞の核は未来志向」で問題はありません。 to不定詞は確かに圧倒的に未来的なニュアンスであることが多いですから。でも自分たちの教えている内容が「本質」という絶対に通用するものではないとようやく認めたな、と思っています。


彼らが例外があるものを「本質」と言うことには本当にうんざりしていました。ずいぶん「本質」も安くなったものだと思っていました。習っている方々は、「核」を「本質」と間違えることのないように学習なさっていただけたらと思います[「核」と言われてもそれが全てだとは思わず、少々例外があるのだ、と疑ってかかることです]。 そうすれば学習効果は上がると思います。まぁ、そんなものより真の「本質」を学んだ方が理解・成績向上は速いのですが。)

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2017年8月27日 (日)

few,if any,「たとえあるとしてもほとんど〜ない」

以前弊塾twitterで、few,if any,「たとえあるとしてもほとんど〜ない」の解説をしました。

 

few, if  any,(little,if any,)「たとえあるとしてもほとんど〜ない」という熟語があリます。

 

>どの参考書も「few(little)『ほとんど〜ない』の強調」と説明しています。

 

>間違いです。正しいのは「noの婉曲」。

 

「彼が治る可能性はたとえあるとしてもほとんどない」というセリフを、治る可能性が少しでもある場合に言うでしょうか。

 

>治らないから「たとえあるとしても…」と言うのです。

 

>治る可能性が、少しでもあるのと全くないのでは全く違います。

 

ですから”few(little),if any"を「few(little)の強調」と説明していたら惜しいように見えて、完全に間違いです。

 

>英英辞書でsupposedly   no(おそらくゼロ)という定義がありましたが、これが正解です(noの婉曲なので)。

 


 

という解説をしました。

 

しかし実際にネイティブでもvery very very few(little)と勘違いしている場合はあるようです。

 

(ちなみにMerriam Websterの定義では"not very many or none at all "となっています。勘違いも、正しい内容も両方のニュアンスを含めた定義です。)

 

しかしあくまで正しいのは、noの婉曲です。

 

not very manyは勘違い・誤りです。

 

とは言え、確かに勘違いして覚えてしまっている人もいるでしょう。

 

私なら、相手がfew(little), if any,を使ったらDo you mean "no" or"very few"?と確認します。

 

以下に説明するようにこのfew(little), if any,は非常にずるい表現です。

 


 

会話をしているA、Bという二人がいたら、AさんとBさんの発している内容と受け取っている言語の内容は全く同一でなくてはなりません。

 

Aさんが「明日は雨だろう」と発したら、Bさんも「明日は雨だろう」と同一の言語の内容を受け取ります。

 

Bさんが「Aの言う天気予報は当てにならないから、雨じゃないだろうけどな」と思うかもしれませんが、それはあくまでAさんが「明日は雨だろう」と言ったのを受けてです。

 

やはり「明日は雨だろう」という言葉がBさんに伝わっています。

 

 

さてfew(little), if any,ですが、医者が「彼が治る可能性はありません」と言うのが忍びなくて「彼が治る可能性はたとえあるとしてもほとんどありません」There is little, if any, chance that he will get well.と言うとします。

 

「たとえあるとしても」という表現は、治る可能性が少しでもある人間には使いませんから(治る可能性がある患者さんに「(治る可能性は)例えあるとしても……」などとは絶対に言いません!)、医者の側は遠回しにno chanceということを伝えたと考えています。

 


 

しかし聞いている患者の側は「ほとんどない」と言っているから治る可能性は少しはあるのだろう、と伝えられたと考えてしまいます。

 


 

このようにAさん(=医者)とBさん(=患者)で同じ言葉を聞いているのに違うように捉えてしまう。

 

それを狙っている表現であるがゆえにこのfew(little),if any,はずるい表現なのです。

 

言葉というものは発信者と受信者の言葉は絶対に同じ内容です。

 

「私、コート脱ぎますわ」と一方の人間が言ったら、もう一方の人間も「私、コート脱ぎますわ」と相手が言ったな、と同一の内容を認識するのが言語の絶対のルールです。

 

しかしこのfew(little),if any,のようにわざと紛らわしさを狙う場合があります。

 


 

この表現に関してはすべての英文法、構文の本が騙されています。(現時点ですべての本がfew、littleの強調と記載されています。正確な内容の本があればご一報いただければ幸いです)

 

「たとえあるとしてもほとんど〜ない」という表現を聞いてすべての人が「なんじゃそりゃ?」と思うと思います。

 

そこから一歩進んで「なぜ?」と考える習慣は、英語に限らずどの分野でも大切だと思います。

 

「たとえあるとしてもほとんど〜ない」 は 正確で、素晴らしい訳です。
英語の学習者、先生方には、コペルニクスのように考えて頂ければと思います。

 

他の文法事項はぜひこちらから→池田英語塾の「神」「龍」超えの英文法

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2017年8月14日 (月)

If it were not for〜のfor

If it were not for〜「もし〜がなければ」のforは」何を表すのか。
これはこの熟語を知った高2の時以来の謎でした。
これを解明したのはようやく一昨年。
それまでの生徒さんたちには「覚えてくれ」と頭を下げていました。
ネットでも調べて見ましたが、これを説明しているサイトはないようです。

Yahoo知恵袋ではこんな感じでした。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1219393572
私には意味不明です。これでわかったことにするのはおかしいですよ、みなさん。
If it were not forのforはfor単独では絶対に「もし〜がなければ」の意味にはなりません。

もしforだけで説明しようとしているYahoo知恵袋のような解説は非論理的です。
shareしてもいいのですが、弊塾の生徒さんたちの許可が得られたらします。

このforについて東京の他の英語講師の方々や新潟予備校時代には某有名名門大学の入試の出題委員の教授にも伺ったのですが、どなたも自分は分かっているという口調で返答くださるのですが…
ポイントがずれていて、もうそれ以上聞いても意味がないな…と思ってこちらがそれ以上突っ込むことをためらう返答ばかりでした。
またそれらは結局自分が行き着いた結論とは全く違う内容でした。

わからないときはわからないと認めることも必要かと。
無知の知。知らないからこそ知ろうというスタートが切れる。
知っていると思っていたら永遠にスタートは切れない。
知っていると分かっていると思うとき、要注意です。(自分にも常に戒めの言葉として使っています)

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