そのうち助動詞の動画もアップさせます。
助動詞の古英語時代の語源から考えると全て納得がいきます。
助動詞は1つの意味だけ覚えると複数の意味がわかることもわかります。
mayは、元々は「力がある」という意味。
ですから古英語時代はmay(当時はmæg) が「〜できる」の意味を担当していました。
全能であることをオールマイティ(almighty)などと言いますが、mightはmayから派生しています。
canは、元々は「知っている」という意味です。(古英語時代はcan、またはcann)
これが徐々にmayから「〜できる」の役割を奪って今日に至っています。
He can swim.なら「彼は泳ぐことを知っている」→「彼は泳ぎ方を知っている」→「彼は泳げる」となったわけです。
「できる」というのは肉体的な力ではなく、脳による知的な能力なのだとなった訳です。
結果としてmayには「今日は君、疲れているようだから、帰ることできるよ」→「今日は帰っていいよ」という許可の意味が残ったわけです。
mayは(「〜できる」から派生した)「許可」なのだ、とだけ覚えておけばいいのです。
「〜かもしれない」はどうする?
2つじゃないか?
いやいや、1つなんですね。
助動詞は2つとかは言っているヤツはまだまだです。(証明します。どうぞそれまでは疑っていてください。こじつけではなく、「あ、確かにそうだ、負けた…」と言わせて見せます。勝ち負けではないのですが。)
まぁそれは動画ができてからのお楽しみ。
他の助動詞ですが、must、shouldは「義務」ではありません。
もし「義務」だとしたら、否定文の意味は何になりますか?
合格した生徒さん達は、当面は「受験勉強する義務はない」ですよね。
義務がないのは、「勉強する必要がない」ですよね。
mustやshouldが「義務」なら、否定文は「〜する必要はない」になるはずです。
しかしmust notは「〜してはならない」(禁止)ですし、should notは「〜するべきではない」です。
ですからmustとshouldは「義務」ではありません。
絶対に違います。
絶対に、という言葉を嫌う方は多いですが、絶対に絶対はないと思っているだけ。(絶対という言葉が使えるくらいまで考えたことがないだけ。怠け者です。私はみなさんの百万倍語学のことは考えています。)
量子力学的な、時間を超越した概念も含めれば確率論的になるのかもしれませんが、
100%近い確率でmustとshouldは義務ではありません。
mustとshouldを「義務」とするのは論理的ではない。
じゃあ何か?
弊塾の塾生さん達は知っています。
そうじゃない方達は、まぁ動画が出たら買ってやってください。
一見の価値は絶対にあります(ほぼ100%の確率でね)。
(mayはどうやって考えるのかはプロモーションとして公開します。
それで納得したら他は買ってくださいませ。
¥3,500。高くはないです。
大手予備校に高い金出して行っても、教えてくれませんから。
知らないんですから。
彼らは。)
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