Google Books Ngram Viewerで1500年〜2019年の間で調べたところ(no more a fish thanで検索しました。最大5文字という制約があります)、鯨構文っぽい文章の初出は1819年。

(なお、同義のnot a fish any more でも調べましたが1891年が初出。no moreの方が先のようなので、こちらは割愛します。)

↑Oliver OldschoolのThe Port Folio 130ページの
A whale is no more a fish than a man.
これがGoogleによる、書籍に残る世界初の鯨構文(的な文章)。
日本での初出は1899年斉藤秀三郎先生のPractical English Grammar: Adverbs, prepositions,conjunctionsの315ページ。(↓)


ここにA whale is no more a fish than a horse is. とあります。
これが私が調べた限りでの日本での書籍に登場した最初の鯨構文。
そして括弧内の記載が、現代まで続くの誤訳の全ての発端だと思います。
>(= A whale is not a fish, just as a horse is not a fish.)
「鯨は魚ではない、それは馬が魚ではないのと全く同じことだ」(塾長訳出)
おそらくネイティブにもチェックしたのだと思います。
「A whale is no more a fish than a horse is.とはA whale is not a fish, just as a horse is not a fish.ということか」と(もしかしたら、この文章はどう言う意味かと尋ねたのかもしれません)。
そして聞かれたネイティブはその通りだ、と答えたのでしょう。
「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」は「君にはお金を貸すことはない。それはお金をドブに捨てないのと同じことだ」ということかと聞かれた日本人は「その通りだ」と答えると思いますが、どうでしょうか。
(もしくは「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」とはどういう意味かと聞かれた日本人が、「君にはお金を絶対に貸さないよ。お金をドブに捨てないようにね、って意味だよ」と説明しても不自然さはありませんし、そう説明する可能性が高いと思います。肯定形で説明するより楽かもしれません。まぁ「君にお金を貸すという行為は、ドブに捨てるという行為と同じで、そういうことは一切しないということだよ」とは説明する方もいらっしゃるとは思うけど、それでも否定語が入ってしまいます。この、説明の際の否定語が……)
これが全ての始まりだと思います。(あくまで推測の域ですが、最善の推測はしたつもりです)
この後、1915年初版の「熟語本位英和中辞典」で上記の本の著者である斎藤秀三郎先生は、
A whale is no more a fish than a horse is.を「鯨は牛馬も同然魚ではない」(旧仮名遣いの「な」をGoogleは「あ」と読み込んだようです。私が所有している大正15年3月20日出版の初版再改訂版も旧仮名遣い、昭和30年出版の新増補版13刷927ページでは新仮名遣いで「ない」となっています。)
thanの後ろを肯定形で訳しています。

しかし時すでに遅し。(1899年の影響が現代に残っている気がします)
それにまだthanの前を否定文で訳しています。
やはり不完全な訳だと思います。(当時、ここまでなさったことに敬意を払うとともに、誤訳は誤訳として修正させていただきたく思います。ただHe can no more swim than I can fly.の訳はお見事。「彼が泳いだなら僕は飛んで見せる」。thanの前後をどちらも肯定形で訳されています。同じように鯨構文も「鯨が魚であるなら、馬も魚だと言える」などとやっていただければ、高3でわけがわからず苦しみ[=moreとかthanがあるのになぜ「同じ」になるの?thanの後ろは肯定文なのになぜ「‥‥ない」で訳すの??]、no more〜thanは「〜でないのは…でないのと同じだ」と丸暗記をせざるを得なかった新潟の池田少年のような人がずいぶん減ったでしょうに。ここは少々恨言を言いたい)
この文章は、A whale is a fishと、a horse is a fishの二つを較べて、前者が、後者より(=than)、more(より多い、より勝っている)である差がゼロ(=no)だという文章です。
これを合わせて、「鯨が魚だというのは、馬が魚だというのと、同じことだ」となるわけです。(既に訳したnoがなぜもう一度登場させて前者にかけて否定するのか、全く意味不明です。noとmoreでマイナスとプラスで掛けてマイナスだから否定で訳す?そんなことしなくても立派に否定の意味になっているわい。だというのに、否定語を付け足すなんて余計なことをするから意味が重複しておかしなことになるのだよ。)
thanの後ろはisという直説法。
「事実だ」という意識の時に使う文法規則です。
「鯨が魚だ」なんていうのは「馬が魚だ、と本気で事実だと思っている(=直説法)」というバカな行為と同じだ、と言っているわけです。
なのにthanの後ろは肯定形ですが否定です、否定で訳しましょう、なんてやったら全く意味がないわけです。
なぜnoを2回訳に使い、thanの後ろにわざわざ書いてないnotを付け足すのか。
(TBSの昨日のドラマ「日本沈没」で関東沈没説を認められなかった世界的地球物理学の権威と同じかな)
否定で訳している方々。
君らと話すのは、言葉が分からない人間と話すのと同じことです。
この文章でさえ、「君らと話さないのは、言葉が分からない人間と話さないのと同じです」としたら意味が壊れるでしょ?
なのに否定で訳すのは意訳だなどと言う。
意味を壊していると思うのは私だけなのでしょうね、きっと。
だから私は英語の関係者とは一切縁を持たないのです。
そんな人々が「思考力が大事」とは片腹痛いわ。
こちらはデータを提示しました。
さぁdisproveしてみてください。
データ、言葉をねじ曲げる「世良教授」とは縁など不要です。
こんなことでさえ修正が効かない日本の英語界は、やっぱり私は関係を持ちたくない。
著者の斎藤秀三郎先生は、誤訳があれば修正を望むはず。(当時、あれだけの本を書けた方ならきっとそうだと私は信じます。)
それができない日本人が英語が得意になるというのは、何も考えていないのに思考力がつくのと同じです。
(上智大外国語学部イスパニア語学科に入学を決めて、記念受験だった早稲田大学政経学部の入試[国語の過去問を全くやらずノー勉で受験。英語と世界史は合格点を取れましたが、A判定だったとはいえ……]。最後の科目のベルが鳴り、顔をあげた瞬間に頭の中で鳴り響いた言葉が「もう英語やらなくていいんだ!!」。実は自分でも頭で鳴り響いたこの言葉には驚いたのですが、その実この言葉は決して間違いではなかったと思ってます。なぜか今ドップリやってますが…。まぁ独自路線で歩みます、今後も。ちなみに、早稲田が第3志望だったのは、せっかく英語の偏差値が上がったのに当時の早稲田政経の英語の問題は非常に簡単。こんなレベルの英語の試験をクリアして入れる程度の大学に入っても語学の力は伸びないかな、などと思いました。上智で正解だったと思っています。ただ今の早稲田の問題は相当すごいことになっていますので、今の入試だと分かりません。)
最近のコメント